静かな革命・読書とネットで変わるこころ
若いころから、本を読まず、スマートフォンやパソコンにも触れずに生きていく。
もし精神疾患を抱える人が、そのような環境で成長していったらどうなるのか。
これは想像ではなく、現実に見かける光景だ。
読書や情報機器は、単なる娯楽ではない。
それらは知的な刺激であり、世界とつながる手段であり、自分自身と対話する入口でもある。
それがないまま生きるということは、「思考する力」や「選択肢に触れる機会」を、最初から奪われていることに近い。
そして、精神疾患というラベルのもとに、それを「仕方ないこと」とされてしまう。
やがて、「向上しようとする力」自体が邪魔されていく。
本を読もうとすると止められる。
スマホを触ると「疲れるからやめとけ」と言われる。
そうして、向上心の芽そのものが、本人の外から折られてしまう。
無能力とは、能力が「ない」のではなく、
能力が発芽する前に、摘み取られてしまうプロセスのことではないか。
こうして、精神疾患を抱える人は「無能力に堕す」のではなく、無能力に堕とされるのだ。
しかし、そうした状況の中でこそ「リカバリー」という思想が光を放つ。
それは、医学的な治癒を意味しない。
症状が完全になくなることではなく、本人が自分の人生を意味あるものとして再構築していく過程を示す。
中心にあるのは、「希望」と「主体性」だ。
そして、そのリカバリーの背景には、脳の可塑性という確かな科学的根拠がある。
人間の脳は、年齢や病歴に関係なく、経験によって変化し続ける。
新しい情報、未知との出会い、思索、言葉――そういったものに触れることで、
脳は再び地図を描き直していくことができる。
本を読むこと。ネットを通じて世界と接点を持つこと。
それは、単なる趣味や暇つぶしではない。
それは、無能力に抗い、外の世界へとつながる回路を再びつくる行為なのだ。
最初の一歩は、小さな興味でもかまわない。
一冊の本、一つの記事、一本の動画。
そこから外の世界の風を感じ、自分の思考が動き出すのを知ること。
それこそが、リカバリーの原点である。
そして、その小さな扉の向こうには、静かに、しかし確かに外への道が繋がっている。
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