患者としての側面を見過ごすな
心の病の患者というのはあまり使われない言葉で、普通は精神障害者と呼ばれるし、一部の福祉関係者や学者は当事者と呼ぶ。では、僕の存在は何か?と考えると、医学的な病理学やエビデンスの上から患者であるほかなく、もちろん昔はひどい病苦も味わった。服薬もしているし、診察もしている。通算で多額の金銭と労力も費やしている。これで患者を名乗れない、あるいは名乗らないのは人が良すぎるというものだ。精神障害者というのは国連の障害者権利条約に書かれているが、やはり寛解や回復したり、社会的に高い能力を持って労働している患者も多々いる訳だから、こういう二級市民として抑圧や差別されるような障害者という定義は廃止するべきだと思う。福祉が多用するこの概念も法律上は昭和二十五年の法律で定められ、それが延々と使われ続けているものだし、ハッキリ言って概念であって実態ではない。しかも精神衛生法当時は病理学や薬も発達しておらず、患者の隔離が中心という有り様だった。現在とは全く様相が違うわけだから、精神障害者という患者の実情を表していない定義は即刻廃止するべきだと思う。患者という定義だけで間に合うと考える。障害者というのは差別的概念の残滓のようだと思う。
障害者という自認をしてない自分でも、普通に診察を受けて普通に服薬を続けていたら病気は回復してきたわけで、これは医学的には正しく、福祉はただの概念に過ぎないことを示す実例だと思う。まあ、あれこれ持論を書いただけに終わるが、障害者という定義は明らかに患者の尊厳を奪い偏見と差別をもたらす土壌になっているということだけは明記しておきたい。
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