降りていく生き方への批判的論評
北海道浦河町にある福祉施設「べてるの家」が二十年余りにわたって喧伝し、ある程度の著名人や相当数の患者に影響を与えたのが「降りていく生き方」と「当事者研究」である。それぞれ批判的検討を加えたいが、今回は「降りていく生き方」を対象にしたい。
個人的に非常に「降りていく生き方」に嫌悪感を抱いているのは、昔から社会人を続けながら通院を続けている患者も大勢いたし、かなりの高学歴の患者も多い。それに精神疾患の生涯罹患率が四人に一人というエビデンスを考慮すると、降りていく生き方などせずに上がろうとする生き方もできるということになる。
僕は個人的に上がろうとする生き方を選択したが、社会状況等も絡みそれは叶わなかった。まあ、今はインターネットアクティビズムと称して個人的意見を発信している。
「降りていく生き方」などしていない患者が多いし、先日G7で三原じゅん子内閣府特命担当大臣が署名した「ソルファニャーノ憲章」も、障害者の包摂と人権それにリカバリー志向が盛り込まれた憲章だし、それは今後法制化されて実際の精神保健福祉の改革にも影響を与えると思う。
2023年にべてるの家は「降りていく生き方」という映画を全国上映したのだが、御生憎様、こちらは30年間かけて何とか這い上がって、ここでWebサイトを作ってブログ記事を書いている。
これから、G7憲章や障害者権利条約の履行と、精神保健福祉環境のリカバリー志向が強まると見込んでおり、「降りていく生き方」は既に旧式で誰も見向きもしないモデルへと時代的には変貌している。
書いておきたいのは、「降りていく生き方」を精神疾患の患者に強いるのは、他の障害が社会的参画を支援する体制にあるにも関わらず、心の病だけが社会放棄的な脱落者というスティグマを与えかねないと危惧している。他障害(僕は精神疾患は病気だと思っている)と比べて著しい不平等を与えるべてるの家のスローガンは、確実に精神保健福祉を劣化させた一因だし、その影響は大きすぎた。
しかし、三原じゅん子大臣の署名でG7憲章によるリカバリー志向の障害者の権利と包摂の流れは、公的な宣言として確実に日本政府も推進することになるだろうと思う。いろいろな紆余曲折がありそうだが、そこはG7である。わがままは言っていられない。
個人的にはべてるの家が推し進めた「降りていく生き方」というリカバリーに反したプロパガンダは急速に力を失うと見込んでいる。社会で活躍したくても長期入院や病状、それに社会的状況で涙を飲んだ患者が数多いのが本当のところだから。
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